GWの旅 最後②

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四街道の少人数制学習塾 まえだ塾です!
この旅の最後は、比叡山延暦寺です。
今回最大の楽しみでした。
比叡山は、古くから山岳信仰の山、大比叡と四明岳の2つを合わせた山の総称です。
ここに、平安時代、最澄が天台宗を開祖したんです。
場所は、地図で見ると、遷都したばかりの首都平安京の北東に位置します。
これが、平安京の鬼門を護る国家鎮護の寺となるわけです。

この最澄が開祖した頃、日本は奈良で仏教文化が生まれたので、奈良仏教こそが日本の中心でした。
東大寺・唐招提寺・薬師寺・興福寺などが強大な力を持ち、政治に影響を与えるなか、桓武天皇は平安京遷都を決めました。
そして、延暦寺伝説が始まります。

桓武天皇が、新しい仏教の学びのために、最澄と空海を遣唐使として派遣することを許可し、最澄は天台宗を学び帰国します。
そして、東大寺で授戒(正式なお坊さんになる)し、その後奈良を捨て、一人比叡山に上り、天台宗の悟りを開きます。奈良を捨てるって、すごく勇気が必要だったと思うんです。
最澄は、実は唐から帰国する直前、唐で密教も学んでおり、これを日本に持ち込んだ人です。そのうち、この比叡山延暦寺は、もはや仏教の大学のようになっていまい、多くの人が修行に来ます。
中学では、鎌倉仏教として、
浄土宗  法然
浄土真宗 親鸞
日蓮宗  日蓮
時宗   一遍
曹洞宗  道元
臨済宗  栄西

を学ぶんですが、この宗祖全員比叡山で修業してるんですね。
次の写真は、東堂(とうどう)に向かう階段です。52段です。菩薩から如来になるための悟りは52個あるから?という説です。

そして、この悟りの52段を登ると、その上に戒壇院というのがあります。
実は、ここが最澄が天台宗を悟りを開いた後、半生をかけて勝ち取った権限の場所になります。
その権限とは…
授戒です。
授戒とは、正式なお坊さんになるためのステップですが、この時代、お坊さんになるには2つの段階を踏まえなくてはなりません。めちゃくちゃ厳しいです。
まず、在俗者は、得度といっていわば見習のお坊さんになるのが第一段階。これが年間10人と決まっています。国を代表する頭のいい人じゃないとなれません。しかも、得度できる寺が決まっています。
そもそも、奈良の2つの寺から5人ずつ得度してよいルールだったんですが、その後比叡山が評価を受け、2名の得度の枠が与えられました。これ、すごいことです。
次に、この得度を積んだ人が、正式に僧侶となるためのステップが授戒です。
この授戒は、日本で3か所だけと決められていたんです。(天下三戒壇)
どこかご存じですか?その中心が東大寺です。

これにより、お坊さんも上下関係があったり、派閥を組むことになるんですが、最澄はこれを変えようとしたんですね。いわば既得権益の打破です。
自分の寺で、授戒できるように働きかけたんです。
すごい反対を受けて、最澄存命中には叶いませんでしたが、最澄の死後、政府は授戒を認めるようになったんです。
だから最澄にとっては、とても大事な大事な場所で、後世のお坊さんの一部はこちらでお坊さんになっていくわけです。
最後は、比叡山頂上付近の眺めです。めちゃくちゃきれいです。

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