夏休みの旅行①

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四街道の少人数制学習塾 まえだ塾です!

お盆休み期間、いくつか見てきたところがあるので、このブログに書きます。

まずは、1985年8月12日午後6時56分に墜落した日航ジャンボ123便の墜落跡地、御巣鷹山です。
私が高校1年生の時に起きた事故でした。
いつか、御巣鷹山に登ろうと思い、今年やっといけました。
初めに事故の概略書きます。



羽田発、大阪行き乗客509名、乗員15名の計524名を乗せた日航ジャンボ機123便は、18時12分に羽田を出発し、18時25分ごろ機内で爆発音。そこから、操縦不能となり、おそよ30分必死の飛行を続けるも、18時56分群馬県の御巣鷹山に墜落。
事故直後、燃え盛る現場に救助ヘリが近づくものの、暗闇と煙と山地が重なって救助できず、翌朝救助が始まった。すると4名の命が助かった。540名の方が亡くなった痛ましい事故で、単独機の飛行機事故としては世界最大の事故となった惨劇あった。その裏で奇跡の救出の人間ドラマが心打った。


飛行機は、右の翼を御巣鷹の別の尾根にぶつけた後、でんぐり返しするように事故現場に背中側から激突しました。その際、胴体後方部が折れて、沢の下に滑落しました。滑落は300m程度です。
この滑落のおかげで、機体後方に座っていた乗客4名が奇跡的に助かったんです。前方にいた乗客は、衝突の衝撃と火災で、バラバラ・黒こげとなってしまいました。遺体や遺品は、広範囲に散らばりました。
山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」では、検死の際に、およそ23週程度の胎児が飛び出てきていた記録があります。そこで、520名の死亡ではなく521名だったと記憶しなくてはなりません。
奇跡的に生存された方の証言によると、墜落直後は数名の生存者の声を聞いた、と言っています。
救出がもう少し早ければ、救われた命がまだあったかもしれません。
事故から39年。事故のない世界を心から望んでいます。

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