会津

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東北の旅、最初は会津です。
会津は、14世紀の終わりごろ葦名氏によって支配された土地でした。
その後、葦名氏はあの独眼竜政宗こと伊達政宗に敗れ、伊達政宗が支配します。
しかし伊達政宗は豊臣秀吉の命により、わずか1年で会津を手放しました。
その後、蒲生氏郷が支配します。
蒲生氏郷は、信長の家来であり、信長にとっての娘婿です。その後、秀吉にも仕えました。この蒲生が、会津と名付け現在の会津の状態を作っていった武将です。
会津は、宝の山と言われた磐梯山と猪苗代湖という自然に恵まれた土地です。

そして、会津のハイライトは戊辰戦争です。
戊辰戦争は新政府軍が、旧政府軍を掃討する戦争です。京都で始まり、江戸に進み、江戸こそは無血開城となりましたが、上野戦争となります。幕末のスーパースター西郷隆盛は、江戸城無血開城で軍の指揮を離れ、変わって出てきたのは大村益次郎です。大村益次郎の作戦は的中。上野戦争では、新政府軍が圧勝します。
いよいよ決戦は会津に。
会津は新政府軍に攻められます。これを阻止しようと奥羽越列藩同盟を結成して会津藩を守っていこうとする動きもありましたが、新政府軍は侵攻し、アームストロング砲(大砲)で城を破壊していきます。
テーンエイジャーで構成された白虎隊は自刃して果てた記録があります。
鶴ヶ城は、こうして落城しました。
砲撃を受け、ボロボロになった鶴ヶ城を取り壊しましたが、その後再建の要望が高まり、再建されました。(写真は砲撃を受けてボロボロになった鶴ヶ城)
お城の名前は、地域の名で登録しないといけないので、今は若松城(会津若松城)となっています。

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